アイドルに対する惑い――ハロプロに見いだせなかった「アイドル」性
橋本環奈という女の子が、『アイカツ!』のCMに出演している。彼女はどうやらアイドルらしい。おれは橋本環奈という子が『アイカツ!』のCM以外でTVに出演しているところを観たことがないので、彼女が得体のしれない存在のまま、脳裏に留まっている。いったい2014年現在のアイドルの状況は、どうなっているのだろうか。AKBはもう落ち目なのだろうか。「AKB」「ももクロ」で時計が止まっている人間は、古いのだろうか。
生まれてこの方、「アイドル」という存在が得体の知れないままに留まっているのは、たぶん「ハロー! プロジェクト」とモーニング娘。のせいだ。いまは「モーニング娘。‘14」と言わねばならないのだっけ。ともかくモーニング娘。をおれは、アイドルとみなさなかった。実は松浦亜弥もアイドルとみなさなかったような覚えがある。だとしたらハロプロとはいったい何なのだろうか?
小学校高学年の頃、夕方時差遅れネットの『ASAYAN』をずっと観ていた。『ASAYAN』はナインティナインが司会で、ハロプロユニットがレギュラーだった。『ASAYAN』を観ていて、「アイドル」という言葉を観たことがない。記憶違いか? 憶測にすぎないが、たぶんハロプロ側では、「アイドル」という「通称」を用いなかったのではないか。むしろハロプロ当局がわざと勝手にモーニング娘。や太陽とシスコムーンを「アイドル」とみなさなかったのではないか。
しかし、ハロプロ当局が「脱アイドル」を志向していた、という憶測よりも、もっと根源的な問題が、おれがハロプロ勢を「アイドル」とみなさなかったことに直結するような気がする。
だいいちモーニング娘。はピンではない。ちょうど最近の『アイカツ!』で、最近ではいちご・あおい・蘭が別々で活動することが多い、という話が出て来た。もちろんいちごとセイラがユニットを組んだり、複数でユニットを組んで活動した例はあるが、いちごやあおいや蘭は本質的に「単独」の存在である。アニメと現実をあえて分けて考えていないのだが、モーニング娘。は不用意にピンで活動することがなかったような気がする。たしかに、思い返せば、後藤真希や安倍なつみはピンで曲を出していた。でも、個人が単独でクローズアップされる最大の瞬間は、メンバー卒業の時だったと思う。モーニング娘。が本質的にピンではないのに反し、おれの「アイドル」の認識は、本質的に「単独者」なのだ。
では松浦亜弥はどうか? 彼女こそ「単独のアイドル」ではないのか? 単独、という意味では、そうだと思う。ただ松浦亜弥が「コテコテな意味での」アイドルなのか、という点には疑問を覚える。言い換えるならば、よくロック雑誌で「大文字のロック」みたいな言葉遣いをするが、松浦亜弥が「大文字のアイドル」という意味でアイドルなのか、という点には疑問を覚える。
それはなぜか? 確信は持てないが、たぶん、松浦亜弥と、松田聖子や中森明菜や小泉今日子のような80年代アイドルが、「符合」しないからだと思う。例えば聖子や明菜やキョンキョンは「歌謡曲」というフィルターを通っていた。『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』のような番組もあった。紅白歌合戦の視聴率も高かった。松浦亜弥はどれだけ「歌謡曲」というフィルターを通っていただろうか? 少なくとも「歌謡曲」というイメージと松浦亜弥は勝手が違う。
ならばますます松浦亜弥とはなんなのか、モーニング娘。と比べてどうなのか、という違和感がつきまとうが、深入りしすぎるのはよしておこうと思う。
モーニング娘。や松浦亜弥が、客観的にみてアイドルと判定されるにしても、おれは、否おれたちは、彼女たちを「アイドル」とみなさなかった。そういう時代を経た、いまの2010年代アイドルとは、いったい何なのだろうか。そして2010年代アイドルの隆盛と結びついた2010年代アイドルアニメとは、いったい何なのだろうか?
生まれてこの方、「アイドル」という存在が得体の知れないままに留まっているのは、たぶん「ハロー! プロジェクト」とモーニング娘。のせいだ。いまは「モーニング娘。‘14」と言わねばならないのだっけ。ともかくモーニング娘。をおれは、アイドルとみなさなかった。実は松浦亜弥もアイドルとみなさなかったような覚えがある。だとしたらハロプロとはいったい何なのだろうか?
小学校高学年の頃、夕方時差遅れネットの『ASAYAN』をずっと観ていた。『ASAYAN』はナインティナインが司会で、ハロプロユニットがレギュラーだった。『ASAYAN』を観ていて、「アイドル」という言葉を観たことがない。記憶違いか? 憶測にすぎないが、たぶんハロプロ側では、「アイドル」という「通称」を用いなかったのではないか。むしろハロプロ当局がわざと勝手にモーニング娘。や太陽とシスコムーンを「アイドル」とみなさなかったのではないか。
しかし、ハロプロ当局が「脱アイドル」を志向していた、という憶測よりも、もっと根源的な問題が、おれがハロプロ勢を「アイドル」とみなさなかったことに直結するような気がする。
だいいちモーニング娘。はピンではない。ちょうど最近の『アイカツ!』で、最近ではいちご・あおい・蘭が別々で活動することが多い、という話が出て来た。もちろんいちごとセイラがユニットを組んだり、複数でユニットを組んで活動した例はあるが、いちごやあおいや蘭は本質的に「単独」の存在である。アニメと現実をあえて分けて考えていないのだが、モーニング娘。は不用意にピンで活動することがなかったような気がする。たしかに、思い返せば、後藤真希や安倍なつみはピンで曲を出していた。でも、個人が単独でクローズアップされる最大の瞬間は、メンバー卒業の時だったと思う。モーニング娘。が本質的にピンではないのに反し、おれの「アイドル」の認識は、本質的に「単独者」なのだ。
では松浦亜弥はどうか? 彼女こそ「単独のアイドル」ではないのか? 単独、という意味では、そうだと思う。ただ松浦亜弥が「コテコテな意味での」アイドルなのか、という点には疑問を覚える。言い換えるならば、よくロック雑誌で「大文字のロック」みたいな言葉遣いをするが、松浦亜弥が「大文字のアイドル」という意味でアイドルなのか、という点には疑問を覚える。
それはなぜか? 確信は持てないが、たぶん、松浦亜弥と、松田聖子や中森明菜や小泉今日子のような80年代アイドルが、「符合」しないからだと思う。例えば聖子や明菜やキョンキョンは「歌謡曲」というフィルターを通っていた。『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』のような番組もあった。紅白歌合戦の視聴率も高かった。松浦亜弥はどれだけ「歌謡曲」というフィルターを通っていただろうか? 少なくとも「歌謡曲」というイメージと松浦亜弥は勝手が違う。
ならばますます松浦亜弥とはなんなのか、モーニング娘。と比べてどうなのか、という違和感がつきまとうが、深入りしすぎるのはよしておこうと思う。
モーニング娘。や松浦亜弥が、客観的にみてアイドルと判定されるにしても、おれは、否おれたちは、彼女たちを「アイドル」とみなさなかった。そういう時代を経た、いまの2010年代アイドルとは、いったい何なのだろうか。そして2010年代アイドルの隆盛と結びついた2010年代アイドルアニメとは、いったい何なのだろうか?
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