『ウィッチクラフトワークス』
はじめに断っておく。
おれは、このアニメの最終回を観ていない。
ただ、とても好きでよく観ていた作品だったので、取り上げてみたいと思う。
主人公は「多華宮仄(たかみやほのか)」という極普通の男子高校生である。彼は、
「火々里綾火(かがりあやか)」は、おそらく180センチ程の長身に加え爆乳、そのうえ才色兼備・・・・・・というスーパー女子高生だったが、実は多華宮くんを守護する使命を持つ魔女であった。だが多華宮くんも一方的にまもられるのは嫌だ! というお約束の成り行きで火々里さんに弟子入りする。つまり魔法使いの手ほどきを受けるのである。さらに多華宮くんと火々里さんは行動を共にするようになり、あまつさえ中盤では火々里さんが多華宮くんの自宅に居候するようになる。多華宮くんにはおかあさんと妹がいる。火々里さんにもおかあさんがいて、彼女は二人が通っている高校の理事長をしている。さらには周囲に『塔の魔女』や『KMM団』がいて・・・・・・といろいろと脇役もいるのだが、大事なのはほぼ全てのキャラが、その世界において、何がしかの役割を担っているということだ。
多華宮くんたちが暮らす「冬月市」は、いわば箱庭世界であって、いっけん普通の女の子に見えても、実は任務をまっとうする使命があったりする。たとえば多華宮くんの妹は、多華宮くんがあずかり知らないところで彼への攻撃を魔女として防いでいた。ともかく箱庭世界でロールプレイをしているような世界観だが、この街ではそのことが現実化しているのだ。
『ウィッチクラフトワークス』の設定は、文字にすると異常にややこしい。だがしかし、アニメで観ると非常に設定は飲み込みやすいのである。原作が漫画なので、ビジュアルでそれとわからせる力に長けているのかもしれない。ともかく「冬月市」は箱庭世界である。その箱庭世界ムードが、アニメで観るとするする飲み込めてくる。
ただ、『ウィッチクラフトワークス』というアニメの本質は、どうも物語や世界観や設定にはないような気がする。映像から物語が浮き出てくるということはなかった。ただ映像を映像として楽しんでいた。内容よりも表現が先行していた典型的な作品だった。
あと、日曜22時30分という枠も観やすかった。『ノブナガン』『スペース☆ダンディ』など、1月期の日曜夜はアニメが充実していたと思う。
(続く)
おれは、このアニメの最終回を観ていない。
ただ、とても好きでよく観ていた作品だったので、取り上げてみたいと思う。
主人公は「多華宮仄(たかみやほのか)」という極普通の男子高校生である。彼は、
学園一のマドンナでクラスメイトの火々里綾火とは不思議な縁があり、それがもとで彼女の親衛隊から怒りを買っていた。不運を嘆く彼に追い打ちをかけるかのように、突如として空から落下してきた冬月高校の校舎……! 「まだ女の子と手をつないだ事もないのに……」――絶望に包まれる仄を救ったのは、魔女の姿をした綾火であった。
(公式サイト STORY 第1話http://www.witch-cw-anime.jp/story01.htmlより引用)
「火々里綾火(かがりあやか)」は、おそらく180センチ程の長身に加え爆乳、そのうえ才色兼備・・・・・・というスーパー女子高生だったが、実は多華宮くんを守護する使命を持つ魔女であった。だが多華宮くんも一方的にまもられるのは嫌だ! というお約束の成り行きで火々里さんに弟子入りする。つまり魔法使いの手ほどきを受けるのである。さらに多華宮くんと火々里さんは行動を共にするようになり、あまつさえ中盤では火々里さんが多華宮くんの自宅に居候するようになる。多華宮くんにはおかあさんと妹がいる。火々里さんにもおかあさんがいて、彼女は二人が通っている高校の理事長をしている。さらには周囲に『塔の魔女』や『KMM団』がいて・・・・・・といろいろと脇役もいるのだが、大事なのはほぼ全てのキャラが、その世界において、何がしかの役割を担っているということだ。
多華宮くんたちが暮らす「冬月市」は、いわば箱庭世界であって、いっけん普通の女の子に見えても、実は任務をまっとうする使命があったりする。たとえば多華宮くんの妹は、多華宮くんがあずかり知らないところで彼への攻撃を魔女として防いでいた。ともかく箱庭世界でロールプレイをしているような世界観だが、この街ではそのことが現実化しているのだ。
『ウィッチクラフトワークス』の設定は、文字にすると異常にややこしい。だがしかし、アニメで観ると非常に設定は飲み込みやすいのである。原作が漫画なので、ビジュアルでそれとわからせる力に長けているのかもしれない。ともかく「冬月市」は箱庭世界である。その箱庭世界ムードが、アニメで観るとするする飲み込めてくる。
ただ、『ウィッチクラフトワークス』というアニメの本質は、どうも物語や世界観や設定にはないような気がする。映像から物語が浮き出てくるということはなかった。ただ映像を映像として楽しんでいた。内容よりも表現が先行していた典型的な作品だった。
あと、日曜22時30分という枠も観やすかった。『ノブナガン』『スペース☆ダンディ』など、1月期の日曜夜はアニメが充実していたと思う。
(続く)
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