競輪入門書に学んだこと
久々にブログに来た。約2週間ぶりである。その2週間、何をそんなに怠けていたのか。馬券と舟券と車券をry「お前は反省をしない!!」おっしゃる通りである。ただ、新年度に入ってからは忙しい。忙しいことは最高である。変な妄想に陥るスキを与えない。
最近は競馬と競艇に加えて競輪にも手を出してしまったクズだが、競輪入門書を3冊買って勉強したのである。それで感じたのは、競輪の指南書を書くような人は、競馬ファン等に比べ、ギャンブルへの意識が高い、ということ。言葉を変えれば、ギャンブルに対する姿勢が、競馬ファンに比べストイックであるということ。
3冊のうち、1冊が三原氏の著作、2冊が大三田氏の著作だったのだが、両者に共通していたのが、「筋違いの車券を買え」ということと、「買うレースを絞れ」ということだった。「筋違い」が何かということは、ここでは関係ないので立ち入らない。重要なのは、「買うレースを絞る」ことが、ギャンブルの大原則であると、三原氏も大三田氏も信じて疑わないのだ。いや、ほとんどのギャンブラーが、「買うレースを絞る」ことが最重要なルールだと信じて疑わっていないように実感する。
「買うレースを絞る」という原則を、アニメに敷衍すれば、「観るアニメを絞る」ということになる。
「観るアニメを絞る」とは、勇気の要ることだ。
世の中には、「光希桃animestation」の光希桃さんのように、自らの意志で視聴対象アニメを絞らない方もおられる。おれも、光希桃さんのマネをして、週80番組チェックしようと思ったことがあった。
だが、『カレイドスター』の後半において、苗木野そらがレイラ・ハミルトンの後追いをしようとして失敗し、結局新しい自我に目覚めたように、おれも、光希桃さんのようにはなれなかった。おれは光希桃さんから脱却しようとした。
アニメファンであり続ける方法は、「アニメを絞れるだけ絞る」ことしかないのではないかと思うようになった。「観」るアニメが少なくなる分、ひとつひとつの作品に多大な注意を払える。逆説的だが、少なく観ることで、多く吸収することができる・・・・・・おれはそう信じている。
せめて、勝負アニメは1本。軸となるアニメが決まらなければ、アニメライフを十全に満喫することはできないのではないか。真剣勝負で向き合うアニメは1本に絞りたい。
競輪入門書を買った
最近は競馬と競艇に加えて競輪にも手を出してしまったクズだが、競輪入門書を3冊買って勉強したのである。それで感じたのは、競輪の指南書を書くような人は、競馬ファン等に比べ、ギャンブルへの意識が高い、ということ。言葉を変えれば、ギャンブルに対する姿勢が、競馬ファンに比べストイックであるということ。
買うレースを絞る
3冊のうち、1冊が三原氏の著作、2冊が大三田氏の著作だったのだが、両者に共通していたのが、「筋違いの車券を買え」ということと、「買うレースを絞れ」ということだった。「筋違い」が何かということは、ここでは関係ないので立ち入らない。重要なのは、「買うレースを絞る」ことが、ギャンブルの大原則であると、三原氏も大三田氏も信じて疑わないのだ。いや、ほとんどのギャンブラーが、「買うレースを絞る」ことが最重要なルールだと信じて疑わっていないように実感する。
観るアニメを絞る
「買うレースを絞る」という原則を、アニメに敷衍すれば、「観るアニメを絞る」ということになる。
光希桃さんを後追い
「観るアニメを絞る」とは、勇気の要ることだ。
世の中には、「光希桃animestation」の光希桃さんのように、自らの意志で視聴対象アニメを絞らない方もおられる。おれも、光希桃さんのマネをして、週80番組チェックしようと思ったことがあった。
だが、『カレイドスター』の後半において、苗木野そらがレイラ・ハミルトンの後追いをしようとして失敗し、結局新しい自我に目覚めたように、おれも、光希桃さんのようにはなれなかった。おれは光希桃さんから脱却しようとした。
絞れるだけ絞る
アニメファンであり続ける方法は、「アニメを絞れるだけ絞る」ことしかないのではないかと思うようになった。「観」るアニメが少なくなる分、ひとつひとつの作品に多大な注意を払える。逆説的だが、少なく観ることで、多く吸収することができる・・・・・・おれはそう信じている。
勝負アニメは1本
せめて、勝負アニメは1本。軸となるアニメが決まらなければ、アニメライフを十全に満喫することはできないのではないか。真剣勝負で向き合うアニメは1本に絞りたい。
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